21019 エッフェル塔

データ

  • 所在地:フランス、パリ
  • 設計者:企業家:ギュスターヴ・エッフェル; 技師:モーリス・ケクランおよびエミール・ヌーギエ; 建築家:ステファン・ソーウェストル
  • 費用:7,799,401 フラン金貨
  • 建築材料:錬鉄と石積みの台座
  • 高さ:当時の高さ:312 メートル /1,024 フィート現在の高さ(アンテナを含む):324 メートル / 1,063 フィート
  • 重量:7300 メトリックトン /8047 トン
  • 建築期間:1887~1889年

歴史

フランス革命100周年を記念して、1889年にパリで万国博覧会が開催されました。その3年前、万博の呼び物となるモニュメントを建設するため、コンペが正式に行われました。ギュスターヴ・エッフェルは高さ300メートルの鉄塔を提案し、107の案の中から彼の作品が採用されました。

エッフェルの会社に在籍していた2人の主任技師、モーリス・ケクランとEmile Nouguier は1884年からすでに鉄塔の着想を得ていました。彼らのデザインは大きな塔門がベースとなっていて、土台部分にある格子構造の4本の柱が上部で合体する設計でした。4本の柱は一定の間隔をもって金属の桁で接合される予定でした。 

この計画をより世論に受け入れられやすくするために、Nouguier とケクランは、会社の建築部門のトップであったステファン・ソーヴェストルに塔の全体の外観について指示をあおぎました。ソーヴェストルは脚部をかざるために石積みの台座を置き、1階部分の柱をつなげる装飾アーチを追加することを提案します。また頂上を球状にして、さまざまな装飾をほどこすように勧めました。しかしこれらは却下され、現在のシンプルな姿に落ち着きました。

塔のデザインは近代技術だけでなく、産業科学の時代を象徴するものになるとギュスターヴ・エッフェルは確信していましたが、すぐに批判の的となります。時代を代表する芸術家の多くが批判をくり広げ、塔を無用かつ醜悪であるとし、ボルト留めされた板金でできた不愉快な円柱とののしりました。”

しかし塔が実際に完成すると、批判の声は収まり、抗議者の多くが考えを変えました。現在では、構造建築の傑作として広く知られています。

主要な工事が完了した1889年3月、エッフェルは政府要人のグループを率いて、マスコミも同伴させて、世界一高い建築物の頂上に向かいました。エレベーターはまだ作動していなかったため、徒歩で1時間以上もかけてのぼりました。祝砲が鳴りひびく中、エッフェルはここで大きな国旗を広げたのです。

建築家

1832年12月15日にディジョンで生まれたギュスターヴ・エッフェルは、並はずれた才能を持つ技師であり、構造家でした。1855年にエコール・デ・サントラルを卒業しましたが、この年はパリで初めて万博が開催された年でもあります。エッフェルはフランスの南西部で数年間を過ごし、ボルドーの大規模な鉄道橋工事を監督しました。1864年、金属構造物を専門とする建設事業者として、自身の事務所を開設します。エッフェルは世界中の金属構造物の建設に数多く携わりました。鉄道橋をはじめとする橋梁は彼の得意分野であり、やがて金属構造物と産業設備の分野で彼の名が知られるようになります。数多くの優れた構造物や建築物を生み出したエッフェルですが、ポルト橋とフランス・カンタル県のガラビ橋は代表的な2大作品となっています。

その他の構造物も同様にすばらしく、純粋な創作力がいかんなく発揮されています。可搬橋は世界各国で発注を受けたほか、ニューヨークの自由の女神の骨組みはエッフェルの手によるものです。エッフェルの企業家としてのキャリアは1889年にエッフェル塔を完成させたことで頂点を迎えます。その2年前の1887年、エッフェルはパナマ運河の水門工事を受注しました。非常に大規模な工事でしたが、ずさんな経営により事業は破たんし、19世紀最大の金融スキャンダルへと発展してしまいました。

エッフェルは事件に巻き込まれたものの、身の潔白を晴らし、人生残りの30年間は科学的な研究に没頭しました。そして1923年12月27日、91年の生涯を閉じました。

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